『少彦名命(すくなびこなのみこと)』は、
大国主命(おおくにぬしのみこと)と兄弟となり共に国を作った神様です。
様々な薬や酒、温泉を作った神様でもあり、医療の神、酒造りの神、温泉の神とも呼ばれています。
容姿の小ささから一寸法師の原型となったとも言われています。
大国主命の右腕で、大国主命から大変信頼されていました。
ですが、国作りに様々な功績を残したスクナビコでしたが、突然大国主命の前から去ってしまいます。
スクナビコは高天原に帰る期限が迫っていたからです。
スクナビコが去ってから大国主命はたいへん苦しみ、どうして良いかわからなくなりましたが、最後まで諦めず国作りに取り組みました。
スクナビコが最後まで大国主命と国作りを共にしていたら、大国主命に自信は持てなかったかもしれませんが、スクナビコが国作りの日の目を見ないまま去ることで、互いの信頼と慈愛を信じることで最後の仕上げを大国主命が一人で仕上げ、確固たる自信を付けたと言われています。
スクナビコは国作りに貢献をしましたが、大国主命が国作りをしたと手柄をとらせる形にしたのです。
自らが始めたことでありながらも、相手の手柄にする。
実権を握ることに使命を持ちやすい昨今、No.2としての仕事を、真摯に全うする責任の持ち方というものの意味を教えてくれているようです。
そんな『少彦名命』から琴が聞いたお話✨
一人一人与えられた仕事には、一人一人に必要な行動と考え方が与えられている。
リーダーとして先頭に立つ者
サポートとして案を出す者
与えられたもの以外のことを無理してやるより、得意なものを持っているものがチームを組むことで計画は着々とこなすことが出来る。
そのためには相手を思う思いやりが大切であり、また自身の持つ『自信』と『意見』が大切になる。
互いにその時の考え方を受け入れた時、想像以上の結果を出せる。
理想ばかり追いかけ我を通し勝手な考え方と行動で場を乱していることに気づかないものは、仕事はもちろん人からの信用信頼も無くなる。
それぞれの思い、それぞれの考え方、それぞれの相手に対しての敬意をいつも持つ。
心構えとは、いつも相手がいてこそ役に立つ考え方を自らが備えておくもの。
自らが成長するためのヒントは、いつもそばにいるものが持っているということを忘れぬように、他者が身勝手でも自分に対しての確固たる自信を心構えとして持てる自分を目指すことが何より大切。
とのことです✨
『カムヤマトイワレヒコノミコト』後の『神武天皇(じんむてんのう)』です。
今回は『神武天皇』のお話✨
生まれながらにして明達で強い意志を持っていた『カムヤマトイワレヒコノミコト』は、十五歳で皇太子になり、四十五歳で兄達を連れ東征に向かいました。
その後、大和国を平定し紀元前660年、2月11日に即位、初代神武天皇となりました。
これが【建国記念日】の日になっています。
神武天皇の神武は、
『むやみやたらに人を殺すことが武ではない』という意味を持つ神武があります。
また、即位した際に述べた言葉に自我とは何か?を問うものがあります。
『自分が正しいと思うことを人に押し付けてはいないか?また、自分が正しいと思わないことを受け入れることが出来るだろうか?
この事を自我という。
そして、もし自我があったならば鏡にその姿を映し、我を取り除きなさい。
【かがみ】から【が】を取り除けば【かみ】となる。』
神武天皇から今の天皇まで、この掟が守られています。
悪いことを考えたりしているときは【鏡に映る自分を見なさい】と言われたり聞いたりしたことがあると思います。
鏡に向かうことは、時に反省したり正したりと、いつもとは違う変化を自ら気づくための行動でもあります。
また努力せずに我を通してる自分に気づくことでもあります。
そして、この時の気づきは自らが持つ「神なる自分」の気づきとなります。
『人を羨ましがらず褒め、感情で接することなく感謝する』
そんな気づきが自分の心の中にあります。
感情の波に飲まれそうになっていたり、心乱れる時は、自分の心に問いかけ気づくことに【鏡】を用いてみるのも良いですね😊
『アマノウズメノミコト』で有名なお話は、「天岩戸」のお話。
弟スサノウの傍若無人な行動にショックを受け、天岩戸に隠れた天照大神。
その天照大神を天岩戸から引き出すためにアマノウズメは体を張って踊り出し神々の笑いを誘い、天照大神を天岩戸から引き出すことに成功したという。
この時、天照を岩戸から引き出し縄を張ったのが『注連縄(しめなわ)』
天照が神々の笑いが気になり岩の隙間から外の様子を覗いた時に使った鏡が、3種の神器のひとつ『八咫の鏡』です。
そして、これら一連の出来事が『祭』の始まりと言われています。
祭とは、穢れを祓う神事です。
この穢れとは『怒・苦・悲・憂・恐』の感情で、この感情こそが問題を起こす根源であり、この感情を取り除くことこそが【祓いと禊】であると言われています。
祭りでは踊りと歌、そして笑顔がありますが、この状態を「清らかな状態」と言います。
【祓いと禊】で清らかな状態にすること。
これがお祭りが神社で行われる理由のひとつです。
ではここから、『アマノウズメノミコト』から琴が聞いたお話✨
人はいつでも顔明るく心豊かに、常に朗らかであるもの。
心の本気は、時には厳しく相手の心を揺さぶります。
ですが、本気が響いた時には必ず浄化が始まり、それが涙となり心の安らぎを得たとき、人は笑顔になります。
辛く苦しい時には、穢れが心を蝕み笑顔が消えます。
いつ何時でも心が豊かであることは、人も自分も救います。
笑顔でいること。
笑顔があること。
幸せとは心が持つ『本気』の思いから得るもの。
嘘偽りの無い穢れなき思いが自分も人も幸せにします。
いつ何時も笑顔でいることを大切になさい。
いつ何時も笑顔を見られることに感謝しなさい。
その時あなたは幸せに気づき、相手も幸せなのだと噛み締めることでしょう。
とのことです✨
『イザナキ』と『イザナミ』は、男女の性別を持った最初に夫婦になった神様。
『イザナ』は「誘う(いざなう)」の語源であり、誘い合う男と女を意味する言葉が生まれ、ここから『愛』が誕生しました。
それまでの神は永遠でしたが、この二人により『愛』が生まれ、その代償に『死』を受け入れました。
その後イザナミが火の神を生み黄泉の国に行った際、イザナキはイザナミを諦めきれず追いかけます。
そこで見た妻の酷い姿に耐えきれず、自ら縁を切ったのです。
この時のイザナキは、イザナミの気持ちを察する余裕など無く、自分を正当化することに精一杯でした。
そして二人の愛は崩れ、深く結ばれた愛こそ崩れたときには呆気なく終焉を迎えます。
愛が深ければ疑いも深くなり、つまらない問題を起こすものだというお話✨
そんな物語がある『イザナギノミコト』から琴が聞いたお話✨
愛と通じているとき、分かり合えているときは固く結ばれ安堵しかない。
しかし、強く結ばれていればいるほど信じられない光景を目の前にする事で、自分が信じていたもの全てが一瞬で消える。
心の弱さである。
相手に頼りきり全てはいつでも変わらず目の前にあるという過信。
愛を育むために死を受け入れた。
互いに同じ想いだったにも関わらず自らの想いを信じ貫けなかった。
これが『裏切り』である。
愛と死。
人が持つものであり、究極のもの。
また自分を信じるというひとつの糧である。
相手を信じるということは自分を信じていなければできない事。
信じたものを覆すことは、自らの弱さの露呈である。
神を信じるということも同じこと。
自らを信じ、神と約束するからこそ叶う願い。
まずは自分の心の在り方を定めよ。
自分を信じてくれている者たちを心から信じている自分を見つけよ。
これが信頼になる。
ということでした✨
信じるとは、思えばなかなか難しいことですね😅
『イザナミノミコト』は、命と引き換えに神を生んだ女神として有名です✨
イザナミは愛に生きた神と言われています。
初めての契りの際、自ら素直な思いを告白してしたことから産まれた子がヒルのような姿だったため海に流した。
これが流産を意味するのかもしれません。
その後イザナキからの告白で二人は深く愛し合い多くの子を産みました。
しかし、炎の子を産んだ傷が元でイザナミは黄泉の国へ逝ってしまいます。
黄泉の国で生の終わりを迎えようとしていた時、夫であるイザナキが迎えにきます。
黄泉の国のものを食べていたイザナミは、姿形が以前とはまるで違い、目を背けるほどのものになっていました。
その姿を見たイザナキは、イザナミに別れを言い渡します。
その時の互いの言い分から「生」と「死」が生まれました。
繋がりと愛が深ければ深いほど察してほしい思いから愛憎が生まれ、感情が大きくなり意見の食い違いが生まれる。
そんな物語がある『イザナミノミコト』から琴が聞いたお話✨
最初を決めるのは自分。
最初を決めてしまうのも自分。
信じていたものに裏切られる。
身を切る思いとは自ら死を迎えるよりも辛く苦しい。
愛の裏には憎しみ
思いやりの裏には悲しみ
信頼の裏には裏切り
無いと思うものが目の前に現れた時。
自分はどうしていいか分からず迷い戸惑う。
千の命を授かり世に下ろし
皆幸せであれと思っていた頃
私は幸せでした。
ひとつひとつの命を生み出し
世に光もたらし笑顔で満たされた時
私達も笑顔でした。
ですが、思いの丈が頂点を迎え
信じていたものが目の前から消えた時
全てを失いました。
思い通りにならない世の中を作り見据えるために神はいるのではありません。
自らの心の中に頑なに我を通す欲とエゴを手放すために、神は心に光を灯し、その光で心は温もりと穏やかさを知ります。
上手くいけばと思う願い
出来たら良い方向へと思う祈り
神仏問わず命あるものが皆持つもの。
幸いなことに私から生まれた子たちは皆、
愛あるものとしてそれぞれが大切なものを持ち
存在します。
それらは人としての思い、また神としての威光で
救いを求められる存在としています。
光あれば陰あり。
それも我が身がひとつの思いとして持っていたもの。
成功あれば失敗もある。
そこにどういう思いを心に備えるか。
命とはそのような存在。
命繋ぐもの、育むもの、希望持つもの
全てが様々な選択を持つ。
たくさんの理由をつけても心はひとつ。
自らを信じ、素直に心に響くことを抱き慈しむ
安らかで穏やかな思いで皆過ごせますように。
終わりとは儚い想いの果てから自ら決める事ではなく、心休まる無を迎えた時です。
とのことです✨