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琴・皇子のつぶやきブログ

2022/03/08
【神様のお話】『イワナガヒメ』からのお話  

『イワナガヒメ』は、絶世の美女と言われるコノハナサクヤヒメの姉妹で、ニニギノミコトに一緒に嫁がせた女神です。

しかし、容姿が醜かったために父オオヤマヅミの元へ一人帰されます。

その事で私達の命は限りあるものになり、人類の寿命が出来たと言われています。

 

実はイワナガヒメは、「醜い神様」と言われていますが、本当は醜いのではなく『見えにくい神様』

イワナガヒメが持つ扇子は、自らを隠しているのです。

つまり、表面の美しさは目に見えますが、心の美しさはその美しさを持っているものにしか計り知れません。

見た目の美しさは歳を重ねるごとにいずれ劣化しますが、心の美しさは歳を重ねるごとに豊かになります。

つまり、その豊かさは岩のように死ぬまで衰えることが無く、その意思を子供達が見習い、岩に苔が生えるように永遠と栄える。

君が代にある「苔のますまで」とは、このようなことなのだそうです。

 

父の元へ帰されたイワナガヒメは、心乱すことがありませんでした。

人生を豊かにするのは内面の美しさであり、その美しさが社会を作り、平和な世の中を作ると自分を信じ、善に心を留めることの大切さを知っていたから。というお話があります。

 

そんな『イワナガヒメ』から琴が聞いたお話✨

 

美しさは人の心を豊かにします。

そして醜いものを引き立てます。

 

醜いものは美しいものを憎み羨ましがります。

そして、醜い自分を恨み全てを閉ざします。

 

しかし、本当の美しさを持つものは心も見た目も美しくなろうと努力します。

 

努力しないものこそ本来の醜い自分。

なので、心底自分を醜いと思うものは自らを隠します。

自分がこの世に存在しないかのように、ひっそりも身も心も隠すのです。

 

しかし、隠れている者を卑下する者こそ本当の心の醜い者。

認める者こそ、本来の心の美しさを持つ者。

ゆえに人は美しさを求めます。

人が美しさを求めて何がいけないのでしょう。

それは決して悪いことではありません。

 

私が醜いと言われ、それが「見えにくい」者としているように、内面は誰にも分からず見えないもの。

見えないわからないはとても神秘的で、興味そそられるものです。

美しさに正しい答えは無く、憧れもひとつの美しさゆえの考え方です。

このことから、美しさは人それぞれの考え方です。

人は本来とても美しい心の持ち主。

表面に捉われる者は、自らの心の美しさに気づかず、いずれその心の美しさに救われた時に改心します。

誰かがそれを待ち見届けなければいけません。

これが私の役割です。

 

何事に捉われることなく信じるということは、自分を信じるに値します。

信じることは美しさを全うする糧です。

 

おおらかに、そして穏やかに。

自らを信じるからこそ表現出来るのが言葉です。

心に響く言葉や立ち振る舞い、態度対応を持つ者との時間は自分を成長させてくれます。

 

人の言葉で自らの内面にある欲とエゴから、自分を知ることは恥ではありません。

少しだけ自分を知るために時間がかかるだけ。

 

そのままの自分でいるために、自分に恨み羨ましさが見えた時こそ、見えない内面の美しさが潜んでいます。

それが学びであり、内面の強さの源です。

 

揺るがない芯のある内面の持ち主の心には、見た目や表面的な美しさに心奪われる弱さは、内面の強さの証になります。

 

気づきとは、素直に自分を認めた時にやってくる閃き。

 

皆さんもお持ちのはずです。

 

ということです✨

 

心の美しさって難しいですね😅





2022/03/07
【神様のお話】『月夜見尊』からのお話  

『月夜見尊』(つくよみのみこと)は、

『闇に光を届け導く神』と呼ばれています。

 

ツクヨミは天照大神の弟であり、スサノウノミコトの兄。イザナキの右目から生まれたのが『月夜見尊』です。

イザナキが生んだ最も尊い神として、彼らを『三貴子』と呼びます。

 

ツクヨミは夜の神であり、月を読むという名前から暦とのゆかりも深く、神社で一日と十五日に参拝するのは、月の満ち欠けに関係があります。

 

天照大神が『陽』なら月夜見尊は『陰』

暗闇で足元を照らす役割や夜の海を月明かりで岸を照らし導く、そんな『月夜見尊』から琴が聞いたお話✨

 

『陰』とは、闇であり影。

そこに良きイメージは無い。

だが無くてはならぬもの。

 

『陽』とは、光であり恵み。

そこには明るいイメージが漂う。

これも無くてはならぬもの。

 

朝には太陽が大地を照らし、

夜には月が暗闇を照らす。

 

どちらも『心』を照らすものとして

人の心に光届け導く。

 

時には激しく強い光も必要だろう。

反面、優しく穏やかな光も必要だろう。

 

人の心に波があるように、海にも波がある。

時に激しく、時に穏やかに大気の流れを表現する。

 

自然の恵みを生かすのが『陽』なら

自然の動きを表現するのが『陰』

 

心の闇に届く光こそ、己を導き素直にさせる。

 

いつでも穏やかに

いつでも安らかに

月の光で己を照らし、心の波が立つこと無きよう自然体で生き自己を表現する。

そこには『静』が生まれる。

心が求める『静』は、月の光と共に自らが導き

穏やかに安らかに素直な自分を表現する。

 

生きとし生けるもの。

全てのものの願い思いがここにある。

 

とのことです✨

 

心のざわつきが無い、穏やかな日々が戻ってきますように✨






2022/03/06
【神様のお話】『タケミナカタノカミ』からのお話  

『タケミナカタノカミ』は、諏訪大社の祭神であり、大国主命の子です。

タケミナカタノカミの「ミナカタ」は『水潟』に通ずるとされ、水神である龍神や蛇神の姿で描かれています。

 

天照大神の命を受けたタケミカヅチが大国主命に国を譲るように迫ります。

大国主命には二人の子がおり、この話に抵抗したのがタケミナカタノカミ。

そのタケミナカタノカミとタケミカヅチが力くらべをしたのが「相撲」の始まりと言われています。

このことから、出雲大社の式年遷宮(しきねんせんぐう)では相撲が執り行われます。

 

そんな『タケミナカタノカミ』から琴が聞いたお話✨

 

いつ何時でもチャンスは巡る。

そのチャンスは『いつでも自分で選ぶことが出来る』

逃すも立ち向かうも自分次第。

 

何事にも挑戦する思い。

チャレンジはいつでも自分の欲を満たし、そして成長の証になる。

 

何事にチャレンジすることは己の真実を身をもって知ることになる。

良いことだけ求めるのも良し。

失敗したときに魂の成長となろう。

悪い結果になることを予感しながら挑戦するも良し。

成功した時には自らの実力の幅が広がり、自分を認めることになる。

どちらに転ぶことがないものに対して人は挑戦しようとは思わないもの。

 

これら人は意欲とする。

 

持つべき欲なら意欲を持つが良い。

意欲は己を成長させる。

 

ということです✨

 

なかなか意欲って持つ意識ないですね😅

意欲持って何事にも挑戦しようと思う😆





2022/03/05
【神様のお話】『ウカノミタマノミコト』からのお話  

『ウカノミタマ』とは、『お稲荷さん』のことです。

 

お稲荷さんのお話は以前にも書きましたが、その時は「七尾の狐」と「九尾の狐」のお話でしたが、今回はお稲荷さんの『ウカノミタマノカミ』と呼ばれる神様のお話です。



○七尾の狐と九尾の狐のお話はこちらから↓↓↓

☆七尾の狐のお話🦊

https://k-aswell.com/contents_478.html

 

☆九尾の狐のお話🦊

https://k-aswell.com/contents_479.html

 

『ウカノミタマ』とは、全国の稲荷神社で祀られる神様。「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。

名前な「宇迦(うか)」は食(うけ)と同じ意味で食物の事をさし、八百万の神の中で最も有名な食物神です。

五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、諸願成就の神として広く信仰されています。

 

古事記では、

父神にスサノウノミコト

母神にオオイチヒメノミコト

と言われています。

 

そんな『ウカノミタマノミコト』から琴が聞いたお話✨

 

食べ物の中で何が一番自分の体に合っているか知っていますか?

そして、何が一番好きですか?

 

「合っているか?」と問われると、皆答えられませんが、「好きか?」と問うと答えられます。

食とはそういうもので、好き嫌いがはっきり分かれるものです。

 

中には食べ物に興味がない人もいます。

こだわらない人もいます。

 

人にも好き嫌いがあり、興味やこだわりを持たない人もいますね?

 

そこにあるのはご縁で、そのご縁を自らの好みや思考で決めているのが人間です。

そして、食とは生きるための糧であり、とても大切なもの。

 

それを好き嫌いで判断し、こだわりで人を抑圧する人や、好き嫌いは別として、こだわりを持たず目の前にあるもので満たす人。

人とは様々な生き方をします。

 

どちらも「何か」の理由をつけていますが、食することに何ら変わりはありません。

 

これは、皆同じことをやっているだけのこと。

 

米は、美味しくなろうや大きくなろうとはしません。野菜も同じこと。

 

ですが、天候や世話の仕方で美味しくなったり大きくなったりします。

 

これは、携わるものに左右されます。

 

人も同じこと。

 

関わる人の影響を受け、嫌いな物を好きになり好きな物が嫌になったり、こだわりを持たない者が好きな物を見つけたり、嫌いな物に出会ったりします。

 

人は人の影響を受け、自然のものは自然のものの影響を受け、皆生きています。

 

生きることも人も自然も同じこと。

 

同じものを持っているのに、考え方が少しだけ違うというだけで「同じ」ではなくなります。

 

ですが、その違いがあるおかげで人は人らしい「個性」が見えてきます。

嗜好も同じこと。

食べ物も同じであっても、条件の違いで旨味甘味が変わり、嗜好に合う「人」に食されます。

これもまた自然の個性。

 

皆選ぶことをやり、そこに選ばれるのが自然です。

 

神も同じこと。

 

こうして皆何かを選んで生きています。

そこにあるのが、幸せであり、願いを叶えるために生きている証。

 

皆定められた運命の源で生きています。

 

その運命を全うすべきは「生きること」。

自分に合う『食』を探すことは生きる上で大切です。

 

目標を持つこと、希望を持つことも大切ですが、食は人の輪を広げ、また心を満たすもの。

その背景には自然があり、その自然には神が宿っています。

 

皆が生きるために、常に神々が生きるための手助けをしています。

皆、神の恩恵の源である自然に生かされているということ。

そして、その自然があるから神も存在するということ。

 

神含め皆、全てのものから守られ生き、存在しているということを思い出してください。

 

自分のことは自分で選ぶ。

皆、自ら選ぶ全てのことで幸せになりますよう。

 

ということです✨

 

食べ物大事〜😍

食べ物感謝🎵

生きてるうちにしか美味しいもの食べられないから〜❣️

自然大事🌿

神様ありがとう✨







2022/03/04
【神様のお話】『猿田彦命』からのお話✨  

『猿田彦命(さるたひこのみこと)』は、

『進出鬼没の天狗と言われた神』と言われています。

 

天照大神に遣わされたニニギが、高天原(天界)から葦原中国(地上)へ降り立つ時、いくつにも分かれている道を目の前に立ち往生していると、高天原から葦原中国までの道を照らす国津神(地上の神様)が現れた。

それが『猿田彦命』だそうです。

 

そんな『猿田彦命』から琴が聞いたお話✨

 

縁とは人からもらうものではなく、自らが導き自らが繋ぐもの。

そこにあるものには必ず天からの助言がある。

 

知らず知らずに繋がった縁も、元を正せば「誰かの言葉」「誰かの考え」または、様々な情報から皆得ている。

 

気になることは全て行動で示してみよ。

 

頭を使うこと

耳をすますこと

目で追うこと

手を使うこと

足を使うこと

体を使うこと

五感を使うこと

 

全て自らが持つ肉体を使うことで、縁は結ばれていく。

体の細部全てに五感は研ぎ澄まされ、直感となる。


自らが直感の元動くことで縁と身近になる。
身近になった縁は、自分を信じ縁結ばれた者を信じることで、信用を得られ信用する。

頼り頼られの関係になった時、信頼が生まれる。

 

皆同じものを持つもの。

 

必然的に重なり合う縁もあれば、離れていく縁もある。

逆に、縁を選び縁を無視することで、縁は切れる。

 

縁とは不思議なもの。

「それで良し」とするものは本人の意思ひとつ。

繋がる縁と切れる縁。

どちらも「良しとする」と無駄な縁は無くなる。

 

体に無駄が無いよう、また縁にも無駄はない。

自らの思考に無駄が無いよう、また天の導きにも無駄がない。

 

目の前の縁はこれから広がる縁に繋がる源。

そこには新たな縁に結ばれる望みが目の前に広がっている。

 

とのことです✨

 

ご縁!大切にしよう🎵






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