3月
◎イベント
5日㈯・6日㈰
旭川
「み」イベント
旭川アルティモール
11:00~17:00

◎イベント
11日㈮
札幌
花きんナイト
手稲キテネビル1Fパン屋喫茶大和さん店内
18:00~21:00
〖完全予約制〗

◎イベント
15日㈫
札幌
かよカル
手稲キテネビル1Fパン屋喫茶大和さん店内
11:00~16:00(最終受付:15:30)

◎イベント
16日㈬・17日㈭
中標津 Share shop and
Share shop and in琴and皇子
サイキックリーディングandサイキックエネルギー整体施術
16日:17:00~19:00
17日:12:00~19:00
問い合わせ:090-6281-7531(要予約)

◎イベント
21日㈪~23日㈬
美唄
コア・ビバイミニわくわく市
10:00~17:00(最終日:16:00)

この他、個人セッション受付中❗❗❗
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今回は『森の神様』のお話🌿
いつも大きな施術や土地にまつわるお仕事の時、必ず行く場所があります。
そこには『森の神様』がいると言われる木があるところで、今までも神様の元で色々な経験をさせていただきました。
木から学ぶ修行🌿
「本当の暗闇と恐怖を知りなさい」と、夜中の2時に森に行き、電気も何も無い森の静寂と真っ暗体験の洗礼を受けたこともありました😅
その時の経験は、霊達がいる静寂と暗闇の世界の体験となっています。
木々のざわめきから感じることは全て「生」で出来ていること、施術に関わる精神面や人間の内面の流れや動きは自然の中に答えがあることなど、今のお仕事にとても大切で、また生きるために大切なことを教わっています。
そんな『森の神様』から琴が聞いたお話✨
一粒の種が何年も月日を重ね森は作られていく。
そこに集まる虫や動物は、森が生きている証。
森には「生」が集まる。
それは森が生きているから。
死の森にはただの無しかない。
そこに「生」は無く、生きるための命果てる時。
森は賑やかだ。
木々のざわめき、虫が動き、葉や幹を鳴らす。
鳥が飛び交い美しい音色を奏で、仲間を呼ぶ。
動物達が動き回り、それぞれの動きを警戒しながらも自分達が生きるための諸行を象る。
そこには善も悪もなく、ただ命を繋げるためのものしかない。
木々は、これらの命を繋ぎ止め、また終わりを迎えるものを見守る。
そこには大いなる大地があり、愛はそこから生まれる。
その愛を育み恩恵を運ぶために風が吹き、潤いを与える雨が降り、全てを温かく包み込む光がある。
そして、全ての機能を止め、英気を養う夜がある。
暗闇から学び生きることを好むものは、またこの時に生きる。
昼夜問わず森は賑やかだ。
耳をすませば聴こえてくる命の音がある。
ただ、今の人間にはわからぬだろう。
森の木々達が命を繋げるように、人間も命を繋げる場所がある。
そこに木々のざわめきや動物の声、虫達の足音は届かず、聞こうとする者もいないゆえ、わかるはずもない。
人間達の喧騒が森に届かぬのと同じこと。
しかし、生きる場が違うというだけで命が育つのは同じ。
愛を育み、全てを共存する。
違うのはそこに言葉があるかどうかの違い。
目の前のことだけに目を向けるな。
目の前にあるものがいつもあると思うな。
全ては自然の摂理からなるもの。
命とは自然にある全ての生きとし生けるものの宝。
命あればどんな苦悩困難は付きもの。
森を破壊し自然が無くなることもまた道理。
たが、命は尽きない。
形が無くなれば魂となる。
森の命は無下に破壊された時に無くなる。
だが、その命繋ぐために宿るものもある。
どちらも結局は命繋がれる。
そこにあるものをなんのためらいも憂いもなく、ただ受け止め流れに任せる。
これが自然であり森の姿。
木々は思う。
この無造作に生え生きるものこそ自分の姿。
さすれば人間も自然にありのままに生きること。
これこそが真の自分の姿ではないかと。
そのもの達の思いの象徴となるべく、我はここに神として崇められ命繋ぐものとして佇む。
そして逆らうことなく自然に生きる。
ということです✨
いつか無くなるかも知れない自然が、生きている限り目の前にありますように✨
『貧乏神』のイメージは、取り憑かれると貧乏になってしまうというなんとも迷惑な神様。
一度取り憑かれると追い出すのはとても大変で、人や家族に災いをもたらし、財産を食い潰し、金運を追い払ってしまうと伝えられています。
家族の中に金遣いの荒い人がいると、貧乏神が取り憑いている!と言ったり、それまで順調だった会社がたちまち潰れてしまうと、貧乏神に取り憑かれた!なんて言われます。
そんな『貧乏神』のことを琴が聞いたお話✨
貧乏神は元々貧乏だったわけではありません。
なぜ貧乏神と呼ばれるようになったかのお話です。
昔、ある豪商の家があった。
そこにはとても神様を大切にする主がいた。
その主はずっと一人で大きな家に住んでいた。
嫁をもらう話は数あれど、なかなか気にいる娘がいないまま、晩年を迎えようとしていた。
年の暮れ。
そろそろ正月の準備に取り掛かろうという時期。
一人女が訪ねてきた。
その女は、昔、主がまだ子供の頃今の家のお手伝いだったという。
その時、主の父親から「この先困ったことがあれば家を訪ねなさい」と言われていたという。
その当時は主は子供であり、そんな話など知りもしなければ聞いてもいない。
信用していいものか迷っていたが、もうすぐ正月。
年越しの準備の取り掛かるこの時期に来た女は、何か意味があるのかもしれない。
そして新年を迎える前に嫌な気分を持ち越すことも無かろうと、その女を家に招き入れた。
女は、昔お手伝いとしていたのがわかるほど、家の隅々まで知っていた。
主が知らなかったところまで知っている。
そして、手際良く掃除でもなんでも手伝ってくれた。
その女が来てからというもの、あまりに女が働きものなので、主は自分のやることまで女にやらせることにした。
毎日欠かさず手を合わせていた神棚や地蔵に参ることの果てまで。
すると、一年経ち二年経ちと、年数を重ねる間に段々主の家はお金が無くなって来た。
ある日、女は言った。
「そろそろお暇いただけますか?」
主は耳を疑った。
「いなくなるとはどういうことじゃ?」
「この家の財産はもうすでにありません。おまけにあなた様は自分の仕事まで私に押し付け何もしなくなり、しまいには大切にしていた神仏までも粗末にしました。
私はあなた様がいつも手を合わせ願っていた神棚の神です。
私が今までやって来たこと。
それはあなた様が全て自分でやっていたこと。
私はこれまであなた様のやっていたことをやってはいません。
一人が二人になった時、これまで以上に手足を動かしやり続けていたら福が舞い込んで来たでしょう。
ですが、人任せにした結果が今です。
私はあなた様が今まで通りなら福の神になったでしょう。
今、何もかも失ったあなた様には、私は貧乏神です。
これからどうするか。
心を入れ替えることでまた繁盛させるか、失念から貧乏を続けるかはあなた様次第です。」
そこで見せられたのは、何年も掃除も何もしていないただのボロ屋がそこにありました。
主は途方に暮れました。
そして思い出したのです。
昔、自分が小さかった時に母とは違う女の人が家にいたことを。
その時両親は必死に働き、寝る間を惜しんで仕事に明け暮れていた。
父や母にその女の存在を話しても信じてもらえず、うやむやなまま記憶が無くなり、その女がどうして出ていったかわからないけど、女が出て行ったのを見た記憶が甦ってきた。
女が出て行ってからは、みるみる家が繁盛したことを思い出しました。
そして、父が亡くなる時に言った言葉。
「家に見知らぬ女が来ても、自分のやるべきことは必ずやりなさい。これは代々家に言い伝えられていること。言い伝えを忘れるとたちまちに貧乏になる。神を拝むということは、自分の心を清くし、家が繁盛するということ。」との言葉を思い出したのです。
主は、自分のやってきたことを心から反省しました。
そして、貧乏神という女にも謝りました。
文句ひとつ言わず言いなりになり、時には話し相手になってくれた女。
女からは何一つ願いは無かったのに、あれもこれもとお願いし、また気に入らないことがあると当たり散らしていた自分を恥じました。
主は心を入れ替え言いました。
「もしお前が良ければ、貧乏神でも良い。このままこの家にいてはくれないか?そして私のことを神棚から見守っていてほしい。神にはいつでも色々話を聞いてもらった。
一人寂しい時、辛い時、楽しいこと嬉しいこと。
話し相手は神だった。
お前が目の前から消えたとしても、それは私の心の中に残っている。その姿があるだけでまた頑張れる。もし願いが叶うなら、このままこの家にいてほしい。」
女は答えます。
「あなた様が望むなら。」
そう言って女は、今は埃まみれのボロボロの神棚に消えていきました。
主は早速神棚の掃除をし、壊れた箇所を直し、家の掃除からここ数年何も手をつけていなかった畑や庭の手入れをしました。
ある程度片付いた時、いつも手を合わせていたお地蔵様の元は向かいました。
そして、お地蔵様に手を合わせ今までの出来事を話し心から反省しました。
すると、小さな物音が聞こえ顔を上げると、そこに立っていたのは神棚に消えた女でした。
女は言います。
「あなたの心からの声は、きっとあなた自身が家の繁栄につなげるでしょう」
そう言って女は消えました。
それからというもの、主は元の働き者になり、その家は前より繁盛したそうです。
というお話でした✨
貧乏神を作るのも自分。
福の神を呼ぶのも自分。
ですね✨
『天邪鬼』とは、ひねくれ者。
人の発言に対して自分もそう思っていても、逆の事を言って逆らうこと。
このような言動、行動をする人を『天邪鬼』と言います。
天邪鬼は悪鬼神や小鬼と呼ばれ、仁王様が踏みつけている鬼がいますが、それが天邪鬼です。
そんな『天邪鬼』について琴が聞いたお話✨
天邪鬼は、最初はいたずらで自分の心と反対のことを言っては、相手を困らせ怒らせていた。
ある日、ひとりの人間に会う。
その者は、天涯孤独で友達もいなかった。
天邪鬼はその者と話をした。
天邪鬼「なぜ一人でいる?」
人間「誰も自分に近寄ってこないからじゃ」
天邪鬼「では自ら近寄れば良い」
人間「人が怖いから近寄らん」
天邪鬼「人なんて怖くない」
人間「お前に何がわかる?」
天邪鬼「わしは鬼であろうと人間であろうと近寄れる。」
人間「いや。わしには無理じゃ。何を考えているかわからぬ者には近寄らん。」
天邪鬼「話をしたらわかるではないか」
人間「では、わしが何を考えいるかお前にはわかるか?」
天邪鬼は、人間の心を読んだ。
だが、わかるのは暗闇だけで人間の心が見えなかった。
天邪鬼「お前は何を考えておる?」
人間「それを読み取るのが得意ではなかったのか?」
天邪鬼「お前には闇しか見えぬ」
人間「では、お主も同じ闇を持っているということじゃな?」
天邪鬼「わしは闇などない」
人間「わしにはお主が闇だらけにしか見えぬ」
天邪鬼「わしに闇などない」
人間「話をしたらわかると言うたではないか?」
天邪鬼「お前はわしと話をしたくないのじゃ。だからそのようなことを言う。」
人間「最初に誰とも話したくないと言うたぞ。会いたくないとはそういうことじゃ」
天邪鬼「わしもお前とは話したくない」
人間「ならそれで良いではないか」
天邪鬼「何を考えているかわからないのはお前だ!」
人間「そうじゃ。わしが何を考えているかわからないから人が来ぬ。お主も同じじゃ」
天邪鬼「わしは一人ではない。お前とは違う」
人間「何が違う?同じじゃ。一人は寂しい。でも、どうしても考えがわからぬものと話すことはできぬ。話したところでどのような答えが返ってくるかわからぬことが怖い。だからわしは一人でいい。だがお主は違う。寂しいのが嫌だから話す。寂しいのが嫌なくせに反対のことを言うて、自分が正しいと譲らぬ。なぜ逆らうことを言う?なぜ心のままを素直に言わぬ?」
天邪鬼「お前は誰じゃ?わしはお前に聞いたのじゃ」
人間「わしはお主じゃ。お主の心の中が姿形となり現れたものじゃ。」
天邪鬼「何を言うておるかわからぬ」
人間「わかっておろう。いつも逆らい譲らず、認めず一人寂しい。これも全て自分がやっていることと知っておろう。だから何も考えていない者に対して恐怖を抱く。それが闇じゃ。闇を考えると寂しさと恐怖でいたたまれなくなろう。自らの心に闇を感じることに逆らっておる。怖いからじゃ。認めると一人でいることに耐えられなくなる。
だからいつもそんな自分から逃げるために、逆らい譲らず認めぬ。恐怖から逃げるということは一生逃げていなくてはいけない。そこから抜け出すのは認めることじゃ。自らの弱さを認め自分をさらけ出す素直さ。どうじゃ?わかっておることをやろうとするのは?出来ないのではなくやりたくないのじゃ。やってしまうと弱い自分を認めることになるからのぅ。どうせまたお主は逃げる。やりたくない認めたくないから逃げる。わしの思う通りじゃ。わしはお主だからな。お主の弱さ全て知っておる」
天邪鬼は人間の正体を知り、怖くなり逃げ出しました。
そして、自分と同じ考えの人間がいることを知り、それは自分そのものだと知った時、その人間のそばに居座り、寂しさを紛らわしています。
逆らい譲らず認めずをやっている人。
天邪鬼な性格の人はご注意を。
いつもそばに天邪鬼がいるやもしれません。
というお話でした✨
時に「あるある」😅
直そ…💦💦
神様の中で、あまり良い印象がない神様もいます。
その一人。
今回は『疫病神』のお話です。
『疫病神』とは、疫病を流行らせる神。比喩的に人々から嫌われる人。
と記載されています😅
悪神であり、厄神とも言われます。
家々の中に入り人々を病気にしたり、災いをもたらすと考えられています。
そんな『疫病神』から琴が聞いたお話✨
元は「福の神」と呼ばれておった。
そんな時もあった。
では、なぜ今疫病神か。
人の心にはいつも「良い心」と「悪い心」がある。
・地蔵にお供えをして手を合わせる。
・困っています者を助ける。
・悩んでいる者の話を聞いて、心を軽くする。
これら皆、良い行いじゃ。
だが、これらの思いは紙一重。
思いに心を邪魔をする思いが入るとどうなる。
・地蔵にお供えを恨みを叶えてもらう。
・困っている者を見て笑う。
・悩んでいる者の話を聞いて、悪口を言っていたと嘘をつく。
これら皆、悪い行いになる。
表の思いと内の思いが違うと、心の中は毒される。
そのような者が持つ、神なる内側の存在は自ら持ち合わせた毒に侵される。
毒された心の持ち主の言葉は疫病のように広がり、何が真実かわからなくなる。
これが『偽り』
神なる内側の存在とは自分な核になるもの。
それは魂であり自分自身。
悪に侵された心の持ち主は、疫病神になる。
そのような者と関わることは、自らを疫病神として存在することになる。
良かれと思うこと、度が過ぎると煙たがられる。
関わることでツキを落とすと見なされた時から、その者は疫病神。
皆に愛される存在になりたければ、自らの心を正しい方向に導く思いが福の神を呼ぶ。
疫病神とはそういうもの。
ということです✨
疫病神にならないように、自分の心が正しいことを選べますように✨