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琴・皇子のつぶやきブログ

2022/03/05
【神様のお話】『ウカノミタマノミコト』からのお話  

『ウカノミタマ』とは、『お稲荷さん』のことです。

 

お稲荷さんのお話は以前にも書きましたが、その時は「七尾の狐」と「九尾の狐」のお話でしたが、今回はお稲荷さんの『ウカノミタマノカミ』と呼ばれる神様のお話です。



○七尾の狐と九尾の狐のお話はこちらから↓↓↓

☆七尾の狐のお話🦊

https://k-aswell.com/contents_478.html

 

☆九尾の狐のお話🦊

https://k-aswell.com/contents_479.html

 

『ウカノミタマ』とは、全国の稲荷神社で祀られる神様。「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。

名前な「宇迦(うか)」は食(うけ)と同じ意味で食物の事をさし、八百万の神の中で最も有名な食物神です。

五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、諸願成就の神として広く信仰されています。

 

古事記では、

父神にスサノウノミコト

母神にオオイチヒメノミコト

と言われています。

 

そんな『ウカノミタマノミコト』から琴が聞いたお話✨

 

食べ物の中で何が一番自分の体に合っているか知っていますか?

そして、何が一番好きですか?

 

「合っているか?」と問われると、皆答えられませんが、「好きか?」と問うと答えられます。

食とはそういうもので、好き嫌いがはっきり分かれるものです。

 

中には食べ物に興味がない人もいます。

こだわらない人もいます。

 

人にも好き嫌いがあり、興味やこだわりを持たない人もいますね?

 

そこにあるのはご縁で、そのご縁を自らの好みや思考で決めているのが人間です。

そして、食とは生きるための糧であり、とても大切なもの。

 

それを好き嫌いで判断し、こだわりで人を抑圧する人や、好き嫌いは別として、こだわりを持たず目の前にあるもので満たす人。

人とは様々な生き方をします。

 

どちらも「何か」の理由をつけていますが、食することに何ら変わりはありません。

 

これは、皆同じことをやっているだけのこと。

 

米は、美味しくなろうや大きくなろうとはしません。野菜も同じこと。

 

ですが、天候や世話の仕方で美味しくなったり大きくなったりします。

 

これは、携わるものに左右されます。

 

人も同じこと。

 

関わる人の影響を受け、嫌いな物を好きになり好きな物が嫌になったり、こだわりを持たない者が好きな物を見つけたり、嫌いな物に出会ったりします。

 

人は人の影響を受け、自然のものは自然のものの影響を受け、皆生きています。

 

生きることも人も自然も同じこと。

 

同じものを持っているのに、考え方が少しだけ違うというだけで「同じ」ではなくなります。

 

ですが、その違いがあるおかげで人は人らしい「個性」が見えてきます。

嗜好も同じこと。

食べ物も同じであっても、条件の違いで旨味甘味が変わり、嗜好に合う「人」に食されます。

これもまた自然の個性。

 

皆選ぶことをやり、そこに選ばれるのが自然です。

 

神も同じこと。

 

こうして皆何かを選んで生きています。

そこにあるのが、幸せであり、願いを叶えるために生きている証。

 

皆定められた運命の源で生きています。

 

その運命を全うすべきは「生きること」。

自分に合う『食』を探すことは生きる上で大切です。

 

目標を持つこと、希望を持つことも大切ですが、食は人の輪を広げ、また心を満たすもの。

その背景には自然があり、その自然には神が宿っています。

 

皆が生きるために、常に神々が生きるための手助けをしています。

皆、神の恩恵の源である自然に生かされているということ。

そして、その自然があるから神も存在するということ。

 

神含め皆、全てのものから守られ生き、存在しているということを思い出してください。

 

自分のことは自分で選ぶ。

皆、自ら選ぶ全てのことで幸せになりますよう。

 

ということです✨

 

食べ物大事〜😍

食べ物感謝🎵

生きてるうちにしか美味しいもの食べられないから〜❣️

自然大事🌿

神様ありがとう✨







2022/03/04
【神様のお話】『猿田彦命』からのお話✨  

『猿田彦命(さるたひこのみこと)』は、

『進出鬼没の天狗と言われた神』と言われています。

 

天照大神に遣わされたニニギが、高天原(天界)から葦原中国(地上)へ降り立つ時、いくつにも分かれている道を目の前に立ち往生していると、高天原から葦原中国までの道を照らす国津神(地上の神様)が現れた。

それが『猿田彦命』だそうです。

 

そんな『猿田彦命』から琴が聞いたお話✨

 

縁とは人からもらうものではなく、自らが導き自らが繋ぐもの。

そこにあるものには必ず天からの助言がある。

 

知らず知らずに繋がった縁も、元を正せば「誰かの言葉」「誰かの考え」または、様々な情報から皆得ている。

 

気になることは全て行動で示してみよ。

 

頭を使うこと

耳をすますこと

目で追うこと

手を使うこと

足を使うこと

体を使うこと

五感を使うこと

 

全て自らが持つ肉体を使うことで、縁は結ばれていく。

体の細部全てに五感は研ぎ澄まされ、直感となる。


自らが直感の元動くことで縁と身近になる。
身近になった縁は、自分を信じ縁結ばれた者を信じることで、信用を得られ信用する。

頼り頼られの関係になった時、信頼が生まれる。

 

皆同じものを持つもの。

 

必然的に重なり合う縁もあれば、離れていく縁もある。

逆に、縁を選び縁を無視することで、縁は切れる。

 

縁とは不思議なもの。

「それで良し」とするものは本人の意思ひとつ。

繋がる縁と切れる縁。

どちらも「良しとする」と無駄な縁は無くなる。

 

体に無駄が無いよう、また縁にも無駄はない。

自らの思考に無駄が無いよう、また天の導きにも無駄がない。

 

目の前の縁はこれから広がる縁に繋がる源。

そこには新たな縁に結ばれる望みが目の前に広がっている。

 

とのことです✨

 

ご縁!大切にしよう🎵







2022/03/04
3月スケジュール❣️  

3月

 

◎イベント

5日㈯・6日㈰

旭川

「み」イベント

旭川アルティモール

11:00~17:00

 

◎イベント

11日㈮

札幌

花きんナイト

手稲キテネビル1Fパン屋喫茶大和さん店内

18:00~21:00

〖完全予約制〗


 

◎イベント

15日㈫

札幌

かよカル

手稲キテネビル1Fパン屋喫茶大和さん店内

11:00~16:00(最終受付:15:30)


 

◎イベント

16日㈬・17日㈭

中標津 Share shop and

Share shop and in琴and皇子

サイキックリーディングandサイキックエネルギー整体施術

16日:17:00~19:00

17日:12:00~19:00

問い合わせ:090-6281-7531(要予約)


 

◎イベント

21日㈪~23日㈬

美唄

コア・ビバイミニわくわく市

10:00~17:00(最終日:16:00)


 

 

この他、個人セッション受付中❗❗❗

 

お問い合わせは、ホームページまたは

09095263397まで❗

 

出張鑑定・出張整体施術 承ります❗

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2022/03/03
【神様のお話】森の神様からのお話  

今回は『森の神様』のお話🌿

 

いつも大きな施術や土地にまつわるお仕事の時、必ず行く場所があります。

そこには『森の神様』がいると言われる木があるところで、今までも神様の元で色々な経験をさせていただきました。

 

木から学ぶ修行🌿

「本当の暗闇と恐怖を知りなさい」と、夜中の2時に森に行き、電気も何も無い森の静寂と真っ暗体験の洗礼を受けたこともありました😅

その時の経験は、霊達がいる静寂と暗闇の世界の体験となっています。

木々のざわめきから感じることは全て「生」で出来ていること、施術に関わる精神面や人間の内面の流れや動きは自然の中に答えがあることなど、今のお仕事にとても大切で、また生きるために大切なことを教わっています。

 

そんな『森の神様』から琴が聞いたお話✨

 

一粒の種が何年も月日を重ね森は作られていく。

そこに集まる虫や動物は、森が生きている証。

森には「生」が集まる。

それは森が生きているから。

死の森にはただの無しかない。

そこに「生」は無く、生きるための命果てる時。

 

森は賑やかだ。

木々のざわめき、虫が動き、葉や幹を鳴らす。

鳥が飛び交い美しい音色を奏で、仲間を呼ぶ。

動物達が動き回り、それぞれの動きを警戒しながらも自分達が生きるための諸行を象る。

そこには善も悪もなく、ただ命を繋げるためのものしかない。

 

木々は、これらの命を繋ぎ止め、また終わりを迎えるものを見守る。

そこには大いなる大地があり、愛はそこから生まれる。

 

その愛を育み恩恵を運ぶために風が吹き、潤いを与える雨が降り、全てを温かく包み込む光がある。

そして、全ての機能を止め、英気を養う夜がある。

暗闇から学び生きることを好むものは、またこの時に生きる。

 

昼夜問わず森は賑やかだ。

耳をすませば聴こえてくる命の音がある。

 

ただ、今の人間にはわからぬだろう。

森の木々達が命を繋げるように、人間も命を繋げる場所がある。

そこに木々のざわめきや動物の声、虫達の足音は届かず、聞こうとする者もいないゆえ、わかるはずもない。

人間達の喧騒が森に届かぬのと同じこと。

 

しかし、生きる場が違うというだけで命が育つのは同じ。

 

愛を育み、全てを共存する。

 

違うのはそこに言葉があるかどうかの違い。

 

目の前のことだけに目を向けるな。

目の前にあるものがいつもあると思うな。

全ては自然の摂理からなるもの。

 

命とは自然にある全ての生きとし生けるものの宝。

 

命あればどんな苦悩困難は付きもの。

森を破壊し自然が無くなることもまた道理。

 

たが、命は尽きない。

形が無くなれば魂となる。

 

森の命は無下に破壊された時に無くなる。

だが、その命繋ぐために宿るものもある。

 

どちらも結局は命繋がれる。

 

そこにあるものをなんのためらいも憂いもなく、ただ受け止め流れに任せる。

 

これが自然であり森の姿。

 

木々は思う。

この無造作に生え生きるものこそ自分の姿。

さすれば人間も自然にありのままに生きること。

これこそが真の自分の姿ではないかと。

 

そのもの達の思いの象徴となるべく、我はここに神として崇められ命繋ぐものとして佇む。

 

そして逆らうことなく自然に生きる。

 

ということです✨

 

いつか無くなるかも知れない自然が、生きている限り目の前にありますように✨



2022/03/02
【神様のお話】貧乏神のお話  

『貧乏神』のイメージは、取り憑かれると貧乏になってしまうというなんとも迷惑な神様。

一度取り憑かれると追い出すのはとても大変で、人や家族に災いをもたらし、財産を食い潰し、金運を追い払ってしまうと伝えられています。

 

家族の中に金遣いの荒い人がいると、貧乏神が取り憑いている!と言ったり、それまで順調だった会社がたちまち潰れてしまうと、貧乏神に取り憑かれた!なんて言われます。

 

そんな『貧乏神』のことを琴が聞いたお話✨

 

貧乏神は元々貧乏だったわけではありません。

なぜ貧乏神と呼ばれるようになったかのお話です。

 

昔、ある豪商の家があった。

そこにはとても神様を大切にする主がいた。

その主はずっと一人で大きな家に住んでいた。

嫁をもらう話は数あれど、なかなか気にいる娘がいないまま、晩年を迎えようとしていた。

 

年の暮れ。

そろそろ正月の準備に取り掛かろうという時期。

一人女が訪ねてきた。

その女は、昔、主がまだ子供の頃今の家のお手伝いだったという。

その時、主の父親から「この先困ったことがあれば家を訪ねなさい」と言われていたという。

その当時は主は子供であり、そんな話など知りもしなければ聞いてもいない。

信用していいものか迷っていたが、もうすぐ正月。

年越しの準備の取り掛かるこの時期に来た女は、何か意味があるのかもしれない。

そして新年を迎える前に嫌な気分を持ち越すことも無かろうと、その女を家に招き入れた。

 

女は、昔お手伝いとしていたのがわかるほど、家の隅々まで知っていた。

主が知らなかったところまで知っている。

そして、手際良く掃除でもなんでも手伝ってくれた。

その女が来てからというもの、あまりに女が働きものなので、主は自分のやることまで女にやらせることにした。

毎日欠かさず手を合わせていた神棚や地蔵に参ることの果てまで。

 

すると、一年経ち二年経ちと、年数を重ねる間に段々主の家はお金が無くなって来た。

 

ある日、女は言った。

「そろそろお暇いただけますか?」

主は耳を疑った。

「いなくなるとはどういうことじゃ?」

「この家の財産はもうすでにありません。おまけにあなた様は自分の仕事まで私に押し付け何もしなくなり、しまいには大切にしていた神仏までも粗末にしました。

私はあなた様がいつも手を合わせ願っていた神棚の神です。

私が今までやって来たこと。

それはあなた様が全て自分でやっていたこと。

私はこれまであなた様のやっていたことをやってはいません。

一人が二人になった時、これまで以上に手足を動かしやり続けていたら福が舞い込んで来たでしょう。

ですが、人任せにした結果が今です。

私はあなた様が今まで通りなら福の神になったでしょう。

今、何もかも失ったあなた様には、私は貧乏神です。

これからどうするか。

心を入れ替えることでまた繁盛させるか、失念から貧乏を続けるかはあなた様次第です。」

 

そこで見せられたのは、何年も掃除も何もしていないただのボロ屋がそこにありました。

 

主は途方に暮れました。

そして思い出したのです。

 

昔、自分が小さかった時に母とは違う女の人が家にいたことを。

その時両親は必死に働き、寝る間を惜しんで仕事に明け暮れていた。

父や母にその女の存在を話しても信じてもらえず、うやむやなまま記憶が無くなり、その女がどうして出ていったかわからないけど、女が出て行ったのを見た記憶が甦ってきた。

女が出て行ってからは、みるみる家が繁盛したことを思い出しました。

そして、父が亡くなる時に言った言葉。

「家に見知らぬ女が来ても、自分のやるべきことは必ずやりなさい。これは代々家に言い伝えられていること。言い伝えを忘れるとたちまちに貧乏になる。神を拝むということは、自分の心を清くし、家が繁盛するということ。」との言葉を思い出したのです。

 

主は、自分のやってきたことを心から反省しました。

そして、貧乏神という女にも謝りました。

文句ひとつ言わず言いなりになり、時には話し相手になってくれた女。

女からは何一つ願いは無かったのに、あれもこれもとお願いし、また気に入らないことがあると当たり散らしていた自分を恥じました。

 

主は心を入れ替え言いました。

「もしお前が良ければ、貧乏神でも良い。このままこの家にいてはくれないか?そして私のことを神棚から見守っていてほしい。神にはいつでも色々話を聞いてもらった。

一人寂しい時、辛い時、楽しいこと嬉しいこと。

話し相手は神だった。

お前が目の前から消えたとしても、それは私の心の中に残っている。その姿があるだけでまた頑張れる。もし願いが叶うなら、このままこの家にいてほしい。」

 

女は答えます。

「あなた様が望むなら。」

 

そう言って女は、今は埃まみれのボロボロの神棚に消えていきました。

 

主は早速神棚の掃除をし、壊れた箇所を直し、家の掃除からここ数年何も手をつけていなかった畑や庭の手入れをしました。

ある程度片付いた時、いつも手を合わせていたお地蔵様の元は向かいました。

 

そして、お地蔵様に手を合わせ今までの出来事を話し心から反省しました。

すると、小さな物音が聞こえ顔を上げると、そこに立っていたのは神棚に消えた女でした。

 

女は言います。

「あなたの心からの声は、きっとあなた自身が家の繁栄につなげるでしょう」

そう言って女は消えました。

 

それからというもの、主は元の働き者になり、その家は前より繁盛したそうです。

 

というお話でした✨

 

貧乏神を作るのも自分。

福の神を呼ぶのも自分。

ですね✨

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