『天邪鬼』とは、ひねくれ者。
人の発言に対して自分もそう思っていても、逆の事を言って逆らうこと。
このような言動、行動をする人を『天邪鬼』と言います。
天邪鬼は悪鬼神や小鬼と呼ばれ、仁王様が踏みつけている鬼がいますが、それが天邪鬼です。
そんな『天邪鬼』について琴が聞いたお話✨
天邪鬼は、最初はいたずらで自分の心と反対のことを言っては、相手を困らせ怒らせていた。
ある日、ひとりの人間に会う。
その者は、天涯孤独で友達もいなかった。
天邪鬼はその者と話をした。
天邪鬼「なぜ一人でいる?」
人間「誰も自分に近寄ってこないからじゃ」
天邪鬼「では自ら近寄れば良い」
人間「人が怖いから近寄らん」
天邪鬼「人なんて怖くない」
人間「お前に何がわかる?」
天邪鬼「わしは鬼であろうと人間であろうと近寄れる。」
人間「いや。わしには無理じゃ。何を考えているかわからぬ者には近寄らん。」
天邪鬼「話をしたらわかるではないか」
人間「では、わしが何を考えいるかお前にはわかるか?」
天邪鬼は、人間の心を読んだ。
だが、わかるのは暗闇だけで人間の心が見えなかった。
天邪鬼「お前は何を考えておる?」
人間「それを読み取るのが得意ではなかったのか?」
天邪鬼「お前には闇しか見えぬ」
人間「では、お主も同じ闇を持っているということじゃな?」
天邪鬼「わしは闇などない」
人間「わしにはお主が闇だらけにしか見えぬ」
天邪鬼「わしに闇などない」
人間「話をしたらわかると言うたではないか?」
天邪鬼「お前はわしと話をしたくないのじゃ。だからそのようなことを言う。」
人間「最初に誰とも話したくないと言うたぞ。会いたくないとはそういうことじゃ」
天邪鬼「わしもお前とは話したくない」
人間「ならそれで良いではないか」
天邪鬼「何を考えているかわからないのはお前だ!」
人間「そうじゃ。わしが何を考えているかわからないから人が来ぬ。お主も同じじゃ」
天邪鬼「わしは一人ではない。お前とは違う」
人間「何が違う?同じじゃ。一人は寂しい。でも、どうしても考えがわからぬものと話すことはできぬ。話したところでどのような答えが返ってくるかわからぬことが怖い。だからわしは一人でいい。だがお主は違う。寂しいのが嫌だから話す。寂しいのが嫌なくせに反対のことを言うて、自分が正しいと譲らぬ。なぜ逆らうことを言う?なぜ心のままを素直に言わぬ?」
天邪鬼「お前は誰じゃ?わしはお前に聞いたのじゃ」
人間「わしはお主じゃ。お主の心の中が姿形となり現れたものじゃ。」
天邪鬼「何を言うておるかわからぬ」
人間「わかっておろう。いつも逆らい譲らず、認めず一人寂しい。これも全て自分がやっていることと知っておろう。だから何も考えていない者に対して恐怖を抱く。それが闇じゃ。闇を考えると寂しさと恐怖でいたたまれなくなろう。自らの心に闇を感じることに逆らっておる。怖いからじゃ。認めると一人でいることに耐えられなくなる。
だからいつもそんな自分から逃げるために、逆らい譲らず認めぬ。恐怖から逃げるということは一生逃げていなくてはいけない。そこから抜け出すのは認めることじゃ。自らの弱さを認め自分をさらけ出す素直さ。どうじゃ?わかっておることをやろうとするのは?出来ないのではなくやりたくないのじゃ。やってしまうと弱い自分を認めることになるからのぅ。どうせまたお主は逃げる。やりたくない認めたくないから逃げる。わしの思う通りじゃ。わしはお主だからな。お主の弱さ全て知っておる」
天邪鬼は人間の正体を知り、怖くなり逃げ出しました。
そして、自分と同じ考えの人間がいることを知り、それは自分そのものだと知った時、その人間のそばに居座り、寂しさを紛らわしています。
逆らい譲らず認めずをやっている人。
天邪鬼な性格の人はご注意を。
いつもそばに天邪鬼がいるやもしれません。
というお話でした✨
時に「あるある」😅
直そ…💦💦
神様の中で、あまり良い印象がない神様もいます。
その一人。
今回は『疫病神』のお話です。
『疫病神』とは、疫病を流行らせる神。比喩的に人々から嫌われる人。
と記載されています😅
悪神であり、厄神とも言われます。
家々の中に入り人々を病気にしたり、災いをもたらすと考えられています。
そんな『疫病神』から琴が聞いたお話✨
元は「福の神」と呼ばれておった。
そんな時もあった。
では、なぜ今疫病神か。
人の心にはいつも「良い心」と「悪い心」がある。
・地蔵にお供えをして手を合わせる。
・困っています者を助ける。
・悩んでいる者の話を聞いて、心を軽くする。
これら皆、良い行いじゃ。
だが、これらの思いは紙一重。
思いに心を邪魔をする思いが入るとどうなる。
・地蔵にお供えを恨みを叶えてもらう。
・困っている者を見て笑う。
・悩んでいる者の話を聞いて、悪口を言っていたと嘘をつく。
これら皆、悪い行いになる。
表の思いと内の思いが違うと、心の中は毒される。
そのような者が持つ、神なる内側の存在は自ら持ち合わせた毒に侵される。
毒された心の持ち主の言葉は疫病のように広がり、何が真実かわからなくなる。
これが『偽り』
神なる内側の存在とは自分な核になるもの。
それは魂であり自分自身。
悪に侵された心の持ち主は、疫病神になる。
そのような者と関わることは、自らを疫病神として存在することになる。
良かれと思うこと、度が過ぎると煙たがられる。
関わることでツキを落とすと見なされた時から、その者は疫病神。
皆に愛される存在になりたければ、自らの心を正しい方向に導く思いが福の神を呼ぶ。
疫病神とはそういうもの。
ということです✨
疫病神にならないように、自分の心が正しいことを選べますように✨
『薬師如来』とは、五智如来の東方、浄瑠璃世界の教主。※浄瑠璃世界とは『現世』のこと。
十二の大願を立てた、人の病患を救うと共に悟りに導くことを誓った仏。
古来、医薬の仏として信仰されています。
阿弥陀如来が西方で『あの世』の教主。
薬師如来は東方で『この世』の教主。
『あの世』と『この世』がこのお方たちに守られています✨
そんな『薬師如来』から琴が聞いたお話✨
人は自ら『人を治す術』を知っています。
そして、それらは『全て身体』が知っています。
子供がケガをした時。
「痛いの痛いの飛んでいけ!」と言われたことはありませんか?
そして、痛みの箇所を撫でてもらったりしたでしょう。
母は言葉で痛みを軽くし、手で撫でてさらに痛みを軽くします。
言葉は全てにおいて癒しであり、手はさらに温もり思いやりを直に伝える特効薬と言えるでしょう。
悲しんでいる人の肩に手を置く。
その人の優しさが伝わり心癒されます。
辛く苦しんでいる人、落ち込んでいる人。
様々な苦悩には、そばにいてくれる人や仲間の「言葉」と「温もり」は心に浸透する薬そのもの。
頭はどう対応するかを考え、
顔は表情で心配や慰めを表現します。
身体は全てを受け止め、
足は傷つき心病む者の場所まで自分を向かわせる。
そして皆願います。
早く良くなってほしいと。
その思いが一番の薬。
心から願うこと。
そこにある思いやり。
そこにある優しさ。
思いが迷子にならぬよう
いつも私は皆を見守っていましょう。
ということです✨
優しさ思いやりでいつも心から接することを心がけたいと思います。
『阿弥陀如来』とは、五智如来において西方の極楽浄土の教主で、生あるものすべてを救う仏様です。
念仏により浄土に往生できるという阿弥陀信仰が鎌倉時代に盛んになりました。
そんな『阿弥陀如来』から琴が聞いたお話✨
ひとつの場にとどまり自分を磨くということは、とても困難です。
たくさんの経験から「自分」を見出すことこそが、本来の自分を知る近道。
ただ闇雲に進むのではなく、そこにはいつも一条の光が当たる目当て『目標』があることです。
生きるということは、毎日のルーティンに過ぎない。
ですが、いつも明確な目的目標があることで、身体や思考がひとつになり、邁進できる。
今は有り余るほどの情報があり、どれを選択したら良いかも迷う世の中です。
そこから選ぶ目的目標は、自らの本能である魂が「この世で成し遂げるもの」を知っています。
そして日々の生活の中で、目的目標を達成するためのヒントを得ようとしています。
気づいていますか?
あなたたちも家族友人、その他の周りの人、そしてこの世界に生きているすべての人々が毎日ルーティンで同じことをしています。
違うのは思いのみ。
どう思い、どう生きるか。
それぞれの思い生き方があります。
生きとし生けるものすべて、魂の目的で生き、その一生には数えきれないくらいの学びと経験があります。
心も身体もひとところに留まるのではなく、もっと大きな感覚と広い目で心を覗き、自分のこと、魂の奥深さを知ることも学び経験ですよ。
とのことです✨
奥深いお話✨
『弥勒菩薩』とは、遠い未来、慈しみにより生あるもの全てを救うという菩薩様。
釈迦入滅後56億7000万年ののちに、兜率天(とそつてん)から地上にくだり釈迦にかわって衆生を救済すると言われています。
天での修行中を弥勒菩薩。
未来仏としては弥勒如来と称します。
56億7000万年後とは、地球を含む太陽系が消滅する余命とほぼ一致しているそうです。
兜率天とは、仏教世界の中央にそびえる須弥山(しゅみせん)の上空にある天界のことを指します。
そんな弥勒菩薩から琴が聞いたお話✨
我を見ず
我を知らず
我を見る
この意味は、
私という存在を見ることなく
私のことを知ることなく
心の中の私を見る
ということです。
これはあなたの心にあります。
自分という存在は自分で見ることは出来ません。
なので自分のことを知ることは出来ず
でも、自分の心を知ると自分というものを見ることは出来ます。
自分という存在は、人を介して初めて「自分」がわかります。
人の言葉から「自分は優しい」等ということ。
そして自分で自分を見ても、全体を見ることは出来ません。
鏡が無いと見えません。
この時、人の姿を見て話してくれる人の姿で、自分もこのような形をしているのだろうと知ります。
このように、人を見て何を思うかで「自分はどのような姿格好で、自分は何を考えているか」を知ります。
人は一人ではなく、自分以外の人がいるからわかること。
人との接点で初めて自分を知ります。
自分の周りにいる人。
家族や恋人。
仕事仲間 等
自分に関わる人たちはあなたを知り成長させてくれる存在です。
大切になさい。
そしてその人たちと関わる自分も大切にしなさい。
愛とはこのような考え方・見方で知ることが出来ます。
これを知ることが出来た時、感謝の心が生まれます。
そしてあなたは自分を愛し、生きていることに感謝します。
とのことです✨
改めて見直しますっ✨